トピシュさんが以前アンガーマネジメントについて書かれていたエントリで「怒らない人の怒らない理由」というのがある。
最後の方で紹介されていたこの本を読んでいたら、それと同じようなことが書かれてあった。
「親にできること」だけすればいいという章で、「自分の領域」「相手の領域」について、「それぞれの事情を考えてあげよう」と。
例えば子どもが騒いだときに、イライラした他人に対して
「親である自分がうまくできてないので他人を怒らせてしまった! 」としか感じられなければ(「自分の領域」における問題としてしか感じられなければ)子どもの行動をコントロールして他人の機嫌をとることしか考えれられないでしょう。(お母さんの心がラクになる!怒らない子育て/p.197)
「自分の領域」内でしか考えられないと「母である自分が責められるからちゃんとしろ」という心理になる。「自分の領域」をいいかえると「自分がどう思われるか」ということかな。
子どもがすること=すべて自分の責任、と強く思うと、子どもが「自分の領域のツールの一つ(道具)」となってしまい、子どもをコントロールしたい気持ちが強くなる。お母さんを責める人はこの場合〝イライラした他人〟だが、それが他のお母さんや、先生だったり、世間とか想像上の誰かといった実態のない場合もあるかもしれない。
要するに「気にしい」は子どもをコントロールしがちになるということか。
イライラした他人のことを「子どもが嫌いな人なのかも」「体調や機嫌が悪いのかも」「更年期なのかも」など「相手の領域(相手がどう思うか)」から考えることができれば、子どもを怒る必要がないかもしれない。
「相手の領域」内のことを考えることができ、「自分の領域だけの問題」と考えなければ、できごとを俯瞰で見れるようになるんだろう。「子どもの領域(子どもはどういう気持ちか)」のことを考えられればなお良さそう。
「自分の領域」の肥大変化形がモンスターペアレント? この辺のさじ加減は常識と照らしてよく考えないといけないけど。
自分を責めているときは「自分の領域」の領土がひろがっているときなのかもしれない。一見反省しているようでいて、自分のことしか考えてない。自分に対して怒っているのが「自分を責める」という状態だとも書かれていた。
自分を責めるのって、ある意味その場にとどまっていられるし、甘美なものでもあるけどあまり建設的な行為ではない。本当に必要なのは「現在」と「未来」なのであってあんまりくよくよしててもしょうがない。