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深く息を吐く

自省用

少女の像

韓国の慰安婦像のここ最近のニュースを見ていて、ふと横浜にある女の子の像を思い出した。「赤い靴はいてた女の子」の歌の。

小学生の頃、学校の旅行で横浜に行った。そのときに「赤い靴の女の子」の像を見た。友達と写真を撮った。歌は知っていたけど、どういう意味の像なのか今までほとんど考えたことはなかった。

「異人さんに連れられていっちゃった」という歌詞から、日本が戦争かなんかで貧しい時代にアメリカ人のおじさんに気に入られて娘として、もしくは愛人候補として連れていかれちゃったのかな…と漠然と思っていた。もし後者ならアメリカからなんか文句のひとつでも言われたことあるのかな。

 

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写真は赤い靴 - Wikipediaより

 

ウィキペディア赤い靴の女の子 きみちゃんを読んでみたら「赤い靴の女の子」の話は私のゲスな想像とは全く違っていて切ない話だった。簡単に書くと、

 

明治時代。未婚の母「かよ」は「きみ」という娘がいた。その後結婚し家族で北海道に入植するが開拓生活は非常に苦しく、かよはきみの養育をアメリカ人宣教師に託した。その後宣教師は本国に帰ることになった。「きみは宣教師とともにアメリカに行ってしまった」という話を、かよと親交のあった野口雨情という人が聞き、それを詞にした。

しかし実際はきみは渡米前に結核を発症し衰弱のため船に乗れず、麻布の孤児院で9歳でこの世を去る。かよはそれを知らぬまま一生を過ごした。

 

この定説以外の話もあるようで(「赤い靴」は「共産主義」の隠喩だ、とか)本当のところはよくわからない。が、像が建てられたのは「きみちゃん母娘の心安らかなることを」という人たちの思いからだろう。お母さんが死ぬまできみちゃんのことを忘れられなかったのはきっと真実だろうし。

 

銅像に関するあれやこれやは知らなくても「銅像をみた」っていう記憶って結構残る。上野には西郷さんがいるし、品川には龍馬がいるし、渋谷にはハチ公もいる。大人になってから、あの像がここに建ってるのはこういうことだったのかと輪郭を知る。

 

今は50体以上になってしまった「慰安婦像」は、平和を祈るというより反日のシンボルになってしまってるように見える。将来の韓国のこどもたちにとっては「昔からある景観の一部」になってしまうんだろうし、建ててる人たちはまさにそれを望んでるんだろう。そういうのは仕方ないけど、公館前の像はどこかに移動して早く解決してほしいなと思う。