深く息を吐く

自省用

ゆるく働いて息子と過ごす最近のこと

17時で仕事を切り上げる生活になってもう9年くらい。最近は15〜16時に切り上げることもしばしば。仕事と家庭どっちも中途半端なのは確かにそうで、葛藤は常にあるといえばある。

夫の収入が特段にさみしいというわけではないけど、私が専業主婦でいられるほどではない(老親扶養や親子ローンもあるし)。たとえ裕福だったとしても自分の性格を考えると難しい。仕事と子育てをちょうどよくやるのはなかなか難しい世の中だな、というのは産んでからしみじみ思ったけれど、こどもがいなくて仕事バリバリの人生はもう想像できない。昨日息子に「もし僕が生まれてなかったらなんかへんだね!」と言われて、いやいやいやなんかへん、どころじゃないよ!!そんなこと言わないでくれよと思った。

仕事は好きだが、こどもがいなくても今でもバリバリできたかどうかは疑問だ。30代40代となると、いやでも自分の能力と社会的な位置というのがわかってくる。独身男性だって自分の今の位置から一歩二歩上にいこうとするのだって相当大変なのに、こどもという大仕事を持ちながら同じようにステップアップしようというのは無理。同じ土俵ではないんだ。向上心は捨てていないけど!

でも世の中には子育てしながらうまいこと出世街道を突き進んでいる有能な人もたくさんいる。こどもがまだ保育園のころは新聞や雑誌にのってるようなスーパーWMと自分を比較して落ち込んだりした時期もあるけど、自分とは能力や立場や環境や仕事へのスタンスが違いすぎるからあんまり参考にならないよなあとだんだん割り切ってきた。そもそも先進的で特筆すべき人物だからメディアが掲載するんだし。

今の働き方は働きやすさを求めた結果、収入が思った以上に不安定なのだけど、その分時間と心のゆとりは確かにあるし、メリハリがついて良い、とようやく思えてきた。フリーランスという立場になって3年近くなってようやく。割り切りというより、あきらめかもしれない。ここでいう「あきらめ」という言葉は「ものごとを明らかにする」という意味のあきらめ。悟りには程遠いが。「諦観」という言葉の意味を知ると、大人になることはあきらめること、という言葉もなるほどと思う。

てい‐かん〔‐クワン〕【諦観】 [名](スル)
1 本質をはっきりと見きわめること。諦視。「世の推移を―する」
2 あきらめ、悟って超然とすること。「―の境地」

ていかん【諦観】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

 

あと5年くらいしたらもう少し仕事にシフトしていきたいと思っているけど、今のようなバランスの生活は貴重なのではと思えてきた。

子は友達と暗くなるまで遊ぶようになったけど、遊べない日もある。兄弟がいるならともかく小学生が家に帰って長時間ひとり、というのはよくないと思うので、小学校に入ってからの方が早く帰るようになった。宿題も見ないといけないしな…。

ぐうたら学生時代やいつも会社でゴハン食べてた時代からみたら、この私が毎日家族のためにゴハンを作ってるというのは驚きだ。義実家から出て家族3人で暮らしはじめたとき、私がひとりで毎日ゴハン作れるのか?と思った。でも別居したかった理由のひとつが義母と一緒の台所だからやるしかない。やればなんとかできるもんだ。しかしこれは本当にこども効果だ。夫のためだけだったら毎日ごはん作ってない多分。手のかかったものは決して作ってないし、作れない日や外食も時々あるけど。(追記:冷静に考えると作っているのは70%くらいだ)

 

あとは寝る前の読み聞かせ。国語があまり得意ではないのは最近読み聞かせをさぼってるからかもと反省して、先週からなるべく寝る前の息子と本を読むようにしてる。これももうあと何年かしかできないことだ。小さい頃母は毎晩お話してくれたように、私もできるだけしよう。

最近はずっと「たけしくん、ハイ!」を読んでる。一話一話が短いからちょうどいい。

 

たけしくん、ハイ! (新潮文庫)

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