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深く息を吐く

自省用

身近な人を失った話

私は弟がいた。でも10年くらい前に死んでしまった。悲しすぎて母以外の誰かと弟の話はできなかったし、匿名のここでも書けなかった。でも書くことで少しずつ前向きになれるかもしれないと思い、書いてみようと思う。

 

私と弟は仲が良かった。小学校では私よりももっともっと友達がいて、私の友達とも仲が良かった。兄よりも年齢が近かったから、自分が小学生の頃は本当によく遊んだ。中高校生くらいになると距離はできたが、音楽やアニメや映画も弟の方が情報が多くこれ聴いた?とかこれ観た?とかよく気に入ったものを勧めてくれた。

弟は社会人になって数年は元気に仕事をしていた。が、数年経って病気に罹ってしまった。でも少し休めば病気は治るだろうとそんなに重く考えてはいなかった。そのころ私は実家をでていて、仕事と遊びで忙しく、実家に帰るのは年に一度くらいになっていた。入院すると聞いたときは驚き、でも手術をしてきっとだんだん良くなるんだろうと思った。本人と病気のことについてじっくり話をすることもなく。

でも本当は完治してなかった。治ってからぽつぽつと仕事はしてたけど、少しするとまた体調が悪くなり辞めるということを繰り返してた。いま思えばこのときに、私はもっと弟にしてあげられることがあったんじゃないかと思う。それなのに弟も母も私に心配をかけまいとあまり詳しいことを話さず、大丈夫大丈夫といって済ませていた。病気はだんだん重くなっていってて、わたしもそれはなんとなく感じていたのに、積極的に関わろうとしてなかった。

 

 

やがてわたしは結婚して、夫との生活をはじめた。その頃は父親の破産騒動があり、帰りたくはないがちょくちょく実家に帰っていた。あきれたことに父は弟の名義のカードでも金を借りていた。弟に接する回数が増えてたのに、父に対する怒りで、弟の病状に気がついてあげられなかった。様子はあまりよくないな…とは思っていたけど『バカ親父のことがあったせいかな、もう少し休めば大丈夫だろう』なんて軽く思っていた。

「焼肉たべた?タバコやめたからわかる 」と言うと、弟は多分ピンときて「そうか姉ちゃんもとうとう…良かった良かった」なんて話したのが最後になってしまった。

母子手帳をもらいに行った日の夜に実家から弟の死を伝える電話があった。突然のことでどうしていいのかわからなかった。そんなに弟の病気が深刻な状態だったってことは後から母から聞いてわかった。私が知ったところで何ができたのかわからないけど、もしかしたらもっと何かできたかもしれない。なぜ言ってくれなかったのか。なんで気付いてあげられなかったのか。相談しようにも相談しなかった弟の気持ちを思うと辛い。どんな思いで黙ってたんだろう。私は自分のことばっかりにかまけていて、あなたのなんの力にもなれず本当にごめん。こんなことになってから後悔してももう何もできない。

 

妊婦は(縁起が悪いから)焼き場に行かないほうがいい、と言われ、お骨を拾うことはできなかった。お葬式のときは小学校中学校の同級生たちがたくさん集まってくれた。

産婦人科の先生に、実は弟が死んでしまって悲しくてどうすればいいのかわからない、と相談すると、とにかく赤ちゃんを産むのが大事だから弟さんのことは気の毒だったけれど弟さんの分まで赤ちゃんを生かしてあげられるようにがんばりなさいと言われた。

生まれてしまうと、赤子にかかりきりの生活と義両親と同居というハードな毎日になったので、すこし気が紛れたけれど忘れることなんてできなかった。たまに夢の中で泣いて夜中起きることもあって夫が心配した。

祖父母が死んだ時も悲しかったけれど、それはもう順番だから今は悲しくない。懐かしさだけ。でも弟の死の直後は本当に体の一部分がもぎとられたような感じだった。そしてその激しい痛みはだんだん鈍い痛みになり、その痛みはさわらなければ少しずつ落ち着いていった。でも今でも体のどこかが欠落してしまったような感覚がある。弟が亡くなった後の母の精神状態はやばかった。後を追うんじゃないかとさえ思った。今は表面上はだいぶ元気になった。でもきっと母は私以上に今も悲しんでいると思う。

 

少し前に「村上さんのところ」で、『身近な人がなくなったとき。空洞をできるだけそのままに保存しておくというのも、大事なことではないか』というようなことを回答としていた。この言葉は弟を失ってから一番自分にしっくりきた。

 

空洞を埋める必要はないし、その空洞がある自分が今の自分だ、というような意味と受け取った。

弟の喪失感や、やりのこしてしまったという後悔は自分が死ぬまで消えることはないし、消してもいけないような気がする。弟と話せるものなら話したかったことが山ほどある。1日くらい化けてでてきてほしいと本当に思っている。でももう話すことはできない。死んでしまうというのはそういうことだ。

だから愛している人が今生きてるならば、生きているうちに精一杯のことをすることしかできない。