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13歳からのテロ問題ーリアルな「正義論」の話

ISの人質事件の報道がピークの頃、息子の「悪い国につかまっちゃったの?」という問いに、「そうだよ」と断言していいのか少し考えてしまった。もちろんその場面だけ切り取れば「あんな暴力はいけない」ということははっきりしてる。でも、歴史の背景を詳しく知ってそう言えるほど何か知ってるわけじゃない。

 

積読になってたこの本を読んでみた。

 

13歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話

13歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話

 

 

中学生向けかと思いきや、大人が読んでも充分読み応えのある良い本だと思った。

 

中学生と著者が対話しながら話が進む。

1時間目:テロとは何か

2時間目:テロはなぜ起きる

3時間目:テロ(暴力)は許されるか

4時間目:テロのない世界を目指して

各章の終わりに「大人のための補習授業」と題して詳しい解説が入っている。

補習授業の一番最初にはこうある。

「歴史に登場したすべての種類を網羅できるようなテロの定義はない」これは、テロ研究の世界的権威フォルター・ラクォールの言葉である。なぜテロは定義できないのか。それは「テロ」と呼ばれる言葉そのものがすでに価値判断を含んだ用語だからである。(p.35)

ドラゲナイの歌詞を出したら叱られそうだけど

人はそれぞれ「正義」があって、争うのは仕方ないのかもしれない/だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ

テロの中の人達はその人なりの正義があってやっているんだろう。正攻法の対話がダメで、戦争という手段にもできず、テロという暴力的行為で意思表示をする場合がある。かと思えばオウムのような限定された価値観のテロもあるし、環境保護団体のようなテロもある。はっきりとした目的がわからないテロもある。著者は限定的な定義として「心理的暴力を与えるのがテロ」と言っている。

ここまで読んで「子どもにとって恐ろしすぎる親」は「心理的暴力を与える」という定義ではテロと一緒だ、と思った。

 

歴史を学ぶというより、テロをテーマにしながら哲学的な話が展開していく。

2〜3時間目で人を殺すことについての話がたくさん出てくる。愛と命とどちらが大切か。殺し合いをやめるための武力は必要か。たくさんの人を救うためには少数の人を殺してもいいのか。

「汝人を殺すなかれ」の牧師さんがヒトラーを殺そうとし絞首刑にされてしまったという話や、日本の戦争を終わらせるためという大義で落とされた原爆の話もでてくる。

それに対して中学生たちが活発に発言してる。ここにでてくる11人の中学生はとてもしっかりしてる。(2011年の和光中学3年生。この学校、進学校というほどではないけど自由でユニークな学校という印象。芸能人のお子さんも多い。)

著者自身「本当に答えの出ない話」と言っていて、さらに「答えのでない問題を考えるのが大事」だとも言っている。 

 

最後に

一番ものを考えて、一番純真な時期というのは、中学生から高校生までなんだ。だから、君たちが今日話してくれた、理想論であれ何であれ、君たちが持っているその思いと言うものを大切にし、もっともっと考えてほしい。(p.150) 

あまり年寄りの言うことは聞かなくていい。(中略)私たち年寄りは、将来に責任が持てない。将来に責任が持てない人の話というのは、当てにならないんだ。(p.150) 

 というので結んでいる。

 

息子が読める歳になったら読ませたいなーと思うけど、果たして読んでくれるかはわかんないので、とりあえずまた積読エリアに戻しておく。