深く息を吐く

自省用

マメタンあんか

こどもの頃のあったかグッズの話。

 

 

実家は農家で、育った家は母屋(おもや)、台所と風呂が一体化した釜屋(かまや)、離れがあった。母屋は祖父母の生活の場であり(ある時期までは叔父達もいた)襖をはずすと冠婚葬祭でも使用できるようになっていた。私含むこどもたちと両親は離れで寝起きしていた。3つの建物をぐるぐるしながら生活していた。

釜屋では普段はプロパンガスを使っていたが、かまどもあった。煙突もついてた。よく覚えてないが天井はスス色一色だったように思う。かまどは年末に餅つき用の餅米を炊いたり、何かの集まりで赤飯を炊いたりと祖母と母が使っていた。こんなことを書くと60代の人かと思われるだろうけど、私は70年代生まれです。友達の家はみんなピカピカして見えた。イメージとしてはこんな感じ。このイラストをみて思い出したけど、そういえばニワトリもうさぎもいた。

 

 

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イラストは タケイエミコ/WORK/家の光/かまどより引用させていただきました。

 

 

このかまどで、炊くこと以外でよく使っていたのが「マメタン」に火を入れることだった。 ↓アマゾンで検索したら出てきた。まだ売ってるんだ…!

 

 品川あんか【豆炭専用あんか】

 

豆炭あんか

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まんなかにいれるのが「マメタン」。上記のはマッチ一本で着火するみたいだけど、こどもの頃のマメタンはかまどを使って火を入れてた。

 

マメタンをかまどの下の燃焼スペースに薪と一緒に入れ燃やす。充分赤くなったらトングであんかの真ん中にいれる。母は寒くなると毎日、ひとりにひとつずつ用意して布団の中に入れておいてくれた。


 

朝はあんかと一緒に布団から出る。あんかを母に渡すと、かすかに火の残っているマメタンの灰を裏庭に捨てていた。灰はそのまま土にかえってたんだろうか。とにかくそのへんはみんな母がやってくれていた。今考えると準備も後始末も大変だっただろうな、と思う。あのあったかさを当たり前のように毎日受け取ってた。あの頃の母の歳になってみて、私はちゃんとできてるんだろうか…と思う。
 

 

今週のお題「さむい」