深く息を吐く

自省用

「日々是好日」とジョブズのことば

前のエントリ書いて「日是決戦」と言う言葉を思い出した。週イチで通ってた予備校の壁に、タテ書きででっかい垂幕がかかってた。今も貼ってあるのかな。

高校生の私は「ひびこれけっせん」と読んでた。自分の中では勝手に「まいにちが戦いだぞがんばれよ」ということにしてた。講師が音読するでもなく壁にあっただけなのにあの頃の脳みそって柔らかいのかよく覚えてる。「日々是好日」という言葉をもじったというのは分かったけど、当時は意味を知らなかったし調べなかったし「ひびこれこうじつ」か「ひびこれよいひ」だと思ってた…。

 

社会人になってしばらく経ってから「日々是好日」は「にちにちこれこうじつ(こうにち)と読むとようやく知った…恥ずかしい。「良い日も悪い日でも同じ一日だから一生懸命生きよう」みたいな感じで覚えていた。でもあまりピンときてなかった。そんだけの意味なのになんで有名な言葉なんだろうな、なんてことを昨日思いだしてググってみたら

「今ここで自分の境地が述べられなくて、一体いつ言うときがあるのか。
無常迅速、時人を待たずであり、はたして明日と云う時があるとは限らないではないか? この一瞬のところを大事にせよ」と云うこと教え示した言葉が「日々是好日」なのである。

「自らの生き方に日々に好日を見出しえなければならない」

禅語に親しむ

好日の好は【好き】の意味ではない。積極的に生きる決意 の【よっしゃぁ】がこの場合の "好" なのだろう。 禅では、過ぎ去ったことに拘ったり、まだ来ぬ明日を密かに期待したりはせず、今この一瞬を精一杯に生きるのだ。

禅の言葉

 

ふーん。「一期一会」とも通ずるような意味なのか、と解釈したら、ようやくすっと入ってきた。こっちは茶道の言葉だから、「日々…」のほうが歴史がある。ちゃんとした本読めばもうちょっと分かるのかもしんない。

 

ん、スティーブジョブズもこんなようなこと言ってなかったっけ?と思ったらやっぱり言ってた。


の真ん中あたりにあった。

死を感じて今日を生きよ

今日が自分の人生最後の日でも、今日やろうとしていることを、私はやりたいか?

言わんとしてることは一緒だよな。これももしかしたら禅からきてるのかな?わかんないけど。

 

私のヨガの先生が禅もやっている。半年くらい前から瞑想会もやってるから、今年中に一回くらい行ってみたい。瞑想って脳にいいらしいし。ジョブズも瞑想してたようだし。

いやいや、それ以前にもう少しちゃんとヨガに行きたい…ココ半年くらい月に1回ペースになってる…ほんとはせめて月に2〜3回は行きたいのになあ。 

 

考えない練習

考えない練習

 

 

最近やさしい仏教の本が増えてきてるのはいい。お葬式のときだけじゃなくて普段からちょっとずつふれたい。