深く息を吐く

自省用

私が働きはじめた理由と、今も仕事してる理由

親から解放されたかった

小学生の頃は休みの日に時々、父に言われて家の畑仕事の手伝いをしてた…(※80年代です)
ちっちゃい頃は農場でチョコチョコ遊んでるだけだったから楽しかったけど、小学校中学年くらいになると「仕事」を頼まれるようになった。農家の仕事を半日もすると本当に疲れるし、友達と遊びたいし、汚れるし、だんだん嫌になってきた。でもいやがると、父は「家族は助け合うもんだ!」「誰が養ってると思ってるんだ!」と言った。

中学になると勉強を理由に手伝わなくてもよくなったからホッとした。しかし、父にちょっとでも反発しようものなら「誰のおかげで学校行ってるんだ」「誰が養ってるんだ」という決め台詞が返ってきた。もうコレを言われると何も言えないのが悔しかった。絶対、こんなこと言う人とは結婚するもんか!とも思った。早く自分で稼げるようになりたい!!!!!

自分で稼げれば、嫌な人と結婚しても「別れる」ことができるよな、というのは中学生くらいから思ってた。こじれた家に育った故の自立心。早く家を出たくて仕方なかった。

好きなことで働きたい

小学生の頃、父の仕事の手伝いは3時間でもものすごーーーく長い。もう1時間くらいやったかな?と思っても30分も過ぎてない。大人になったら、学校の6時間授業が終わる時間よりももっと長く働いてるんだよなあって思って、これはある程度、自分が好きなことじゃないと大変だ、と思っていた。

高校生の頃、自分の好きなことで就ける職業ってなんだろう…と真剣に考えて考えた。色々父と揉めたけど、どうにかなんとか好きな分野に進学した。(「志望校が母校になる」っていうコピーありましたね。私はこのコピー好きです)そんでなんとか希望の業界の端っこの方に就職。仕事の「理想と現実」に日々心を砕かれるものの、ようやく親の扶養家族から抜けたのは嬉しかった!

目標があるとザコ仕事でも頑張れる。

新人の頃まかされる仕事は当然ペーペーでもできる仕事だから面白さ満載じゃなかった。でも、大きい仕事のどのへんの部分なの?とか考えてやると、ザコ仕事でもモチベーションは維持できた。学生の時の恩師が「週に2日楽しむか、7日楽しむか」と言ってたことがある。休みの日だけ楽しむか、仕事も楽しんでやるか、どっちが人生楽しいかという意味。好きな分野の仕事といっても「仕事」だから苦しいことはもちろんあるけど、好きじゃなかったらもっと苦しいし頑張れないよなあと思う。

今も仕事してる理由

もちろん、お金のためです!第一は自分の暮らしのためで次に家族のため。家族が一番じゃなくてすいません。お金ないと息子育てらんないし、義父母と同居になっちゃうし! 義親も実親も老いてきたからこれからお金かかるんじゃ…と真剣に思うし。夫との仲は良好だけど、夫がもしなんかあったら(健康面とかね一馬力でもがんばる気持ちではいる。お金は大事だよ!!  

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

 

でも「お金をもらう」のと同じくらい大事な「いつかこういうのやりたい…」という理想みたいなのがあって、自分の力がまだまだ追いついてないから今も仕事してるんだと思う。あと15年はしたい、というか、しないと。

色々あったとき「仕事に助けてもらった」ことは何度かある。やな言い方すると「仕事に逃げる」とも言うが。

「たくさんお金を稼ぐ」視点で仕事選んでたら、今頃はもう少し頭のよさそうな仕事に就いてたかも…。いかに短い労力でたくさん稼げるかを追求してたら、今より暮らしぶりは楽だったかもしれない。でもその仕事が続けられてたかどうかはわかんない…。

働くって「はた(傍)の人をラク(楽)にする」ことらしいから、嫌な仕事はなるべくしないに越したことないよな、と最近常々思う。仕事はイヤイヤやってると、依頼主にも、まわりの人たちにも結構伝わっちゃう。自分のメンタルにもよくない。

 

子ども産んでからの「仕事」へのスタンスは妊娠前と変わらざるを得ないけど、仕事する理由はあんまり変わってない。子供と仕事のことを書き出すと長くなりそうだからそれはまたいつか。

 

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先日読んだこのエントリ


結婚をして幸せになれる人がほんの一握りなワケ - 新卒ニート女子ブログ

内容には色々考えさせられたのですが、その中の “生活の糧を稼ぐ以外に「働く意味」がわからない。”という一文になんかひっかかってしまい、私の場合は…と書いてみたら、また子供時代からの振り返りになってしまいました。今は結婚して概ね幸せだし、周りの既婚たちも結構幸せそうに見えますよ。職業選択の自由の時代に生まれて本当によかったです(涙)