深く息を吐く

自省用

全エネルギーをそそぐ

最近読んだ本にこんな言葉があった。
今の親は「自分にも楽しく生きる権利がある」という意識があり、片手間で自分の子どもを育てようとしている。彼らの意識の上ではそうは思ってないのかもしれませんが(著者には)そう見える。

子どもを授かった以上、親は子どもに全責任を負わねばなりません。子どもの養育、教育に全エネルギーをそそがねばなりません。

(国語力のある子どもに育てる3つのルールと3つの方法 /ディスカヴァー携書/水島 醉)

この言葉の前に以下のような内容がある。
(昭和一桁生まれにくらべて)団塊の世代は社会の変革期に育ち過去のルールに縛られないことを善とする風潮がある。そのため自分たちの子ども(団塊Jr.)に厳しいしつけをしていない。現在の親はしつけをされていないから子どもをどうしつけていいかわからない。
(国語力のある子どもに育てる3つのルールと3つの方法 /ディスカヴァー携書/水島 醉)
 
仕事をしながら子育てしてると、どうしても子供に全エネルギーというわけにはいかなくて、自分にいいわけしながら子どもの勉強やらしつけやら適当にしてた。確かに最近の風潮は「お母さんも楽しく」「自分らしく」みたいな言葉がありふれてるけど、それに甘えちゃだめだよな、と叱ってもらったような気になった。
 
子育てには正解はないかもしれないけど、失敗はある。
ちゃんと向き合うべき時期に子どもと向き合ってないと、子どもはちゃんと大人になれないのかもしれない。
 
私の親は団塊の世代で私は団塊Jr。祖父と父は同居していたが仲が悪かった。祖父は父に厳しかった。祖父はガミガミ言うだけで父(息子)にうまく良いエネルギーを注げてなかった。ガミガミいうだけだと反抗心だけが大きく育つ。そして父は誰の意見も聞く耳もたない人間になってしまった。それをみて私は育った。だから厳しく言うばかりのしつけがいいとは思わない。
 
引用した「子どもを授かった以上、親は子どもの養育、教育に全エネルギーをそそがねばなりません。」というのは、おそらくガミガミいうことでもなく、すべての時間を子どもにそそぐことでもない。でも意識の下ではすべて子どものことを考えていて、実際に子どもと一緒にいられる時間を大切に、子どもと接するということ、と理解した。
 
忙しいとなかなか難しいし、まあいいや…となってしまうことが多い日々なので、ときどきこういう言葉を思い出してみたほうがいいなと思う。