深く息を吐く

自省用

正月からハラハラ

毎年年初は義父母と夫と私と息子の5人で初詣にいく。義父母は齢80を超え、歩くのがしんどそうなんだけれど長い長い参道を歩く。

 

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ようやく参拝し、一休みし、さあ帰ろう、もうすぐ出口だというところで後ろがざわざわしてる。見ると人が倒れてる。よく見ると倒れてるのは義母! なんでなんでどうしたんだ…義母を置いてかないように、私はなるべく後ろを歩くようにはしてたんだけど、ずっとゆっくり歩くのって結構大変で、時々息子とさっさかさっさか歩いてしまっていた。義母が一番後ろを歩いてたから、どういう状況でそうなったのかさっぱりわからない。

義母はしばらく立ち上がらないし何も言わない。やばい、と思った。もしや脳卒中? 動かしていいの? 救急車か…? 

少しすると「痛い、頭が痛い」と訴え始めた。話しはじめたことで少しホッとする。まわりの人たちが肩をかしてくれてなんとか起き上がることができた。が、義母がここが痛いというところをみると大きなたんこぶができてる。直径5センチ以上もあって、結構膨らんでる。血は滲むくらい。私はパニック状態になる。

「この靴のここんところがすべって」とか「ここがつまづいて」とか、要領を得ないけれども、何かのはずみで転倒したということはわかった。そのうちにお巡りさんが寄ってきて、「大丈夫ですか? 意識はありますか? 救急車を呼びましょうか?」と尋ねてくる。義父は「話せるくらいだから大丈夫、車で行こう」と、夫に車を取りに行かせる。

三ヶ日にやってる病院なんてないし、打ったところは頭。たんこぶができれば大丈夫というけど、でかいたんこぶが本当に大丈夫かなんてわからない。大学病院の救急に向かうことになった。紹介状がないから8千円くらいの特別診療報酬を払うことになるけどそんなのは仕方ない。

救急の窓口に今から診てもらいたい旨電話をすると、意識はあるか、吐き気はあるか、手に力は入るか、目は見えているか、ということを聞かれた。意識はあるしどれも大丈夫と答えると、救急度はそれほど高くないと判断されたのか「混んでいるから2〜3時間待つことになりますが大丈夫ですか」と尋ねられた。まあそのくらいは待つだろうというのは予想がついてたから「はい、待ちます」と言って電話を切った。万が一急変したとき、病院にいた方が安全だし。

病院に着くともう陽が暮れかけてた。「ごめんね。行きじゃなくて良かったね」と義母が言う。受付は私が済ませたけれど、義父が「俺がつきそうから、受付だけしたらお前たちは帰っていい」と言ってくれる。息子を救急の待合室にいさせたくなかったから、遠慮せず義父にまかせてしまった。

義母と一緒に住んでたときは、彼女の存在を(1度や2度じゃなく)厭ましくおもったけれどそれは同居だったからで、普段接してるぶんにはとてもいいお姑さんである。夫からすればよき母で、息子からしたら優しいおばあちゃんだ。いつもなんだかんだとうるさいくらいおしゃべりな義母なのに、無口に待合室で下を向いて座ってる姿をみるとなんだか悲しくなった。

 

夫と私と息子は家で義父の連絡を待った。息子はショックだったのか帰るなり布団をひいてしばらく横になってしまった。義父からなかなか連絡がこなかった。待ち時間はおもった以上に長くなってしまった。義父が言うには、待ってる途中に救急車が3台くらいやってきて、そうするとそっちが優先になるからさらに後ろに回されちゃうんだということだった。1時間に1台くらいか。多いよな。。

CTをとってもらい、骨には異常なしということがわかって、今から家に帰るよと連絡がきたのは9時半は過ぎてた。義父も相当疲れたろうなと思う。このハラハラしてる時間にネットで「年寄り、たんこぶ」なんぞで検索かけると、あまり楽観的にもなれないような記事がいくつか出てきた。でもまあ主治医のいうことを聞いておくのが基本だろう。とにかく今日は冷やして安静にということだった。

年寄りは足腰が弱ってるから、ちょっとしたところでコケて大怪我になる可能性があるんだなとしみじみ思った。私の実の祖母も晩年よく転んでいた。転んで顔に大きなアザをつくってたこともあった。目の周りを絵の具で塗ったみたいなアザだった。幸い転んだことが原因で寝たきりとはならなかったけれど。

こんなことはこれからまたあるのかもしれないと思いつつ、とりあえずの無事をみんなで喜んだ。次の日は朝イチでみんなで義母の顔を見にいった。こぶの腫れは少しひいたけど、まだ痛そうだった。けど、目立った異常はなさそうで良かった。しばらくこのままなにもないことを祈る。まじで。